熊本県有機農業研究会の源流を訪ねて(3)

熊有研30周年を前に、農民史研究家・内田敬介氏が、熊有研設立当初の様子を取材し報告する「熊有研の源流を訪ねて」の第二回目。提携を軌道に乗せていった過程を知る消費者を訪ねました。


今回は「熊有研」が発足した当時から有機農業を続けてこられた五名の方に、有機農業やくらしなどを語っていただきました。

◆有機農業を始めた動機

高丸光行さん(御船町)
▼全国愛農会が開催した講演会で、奈良県の医師・梁瀬先生
の農薬中毒の話を聞いて強いショックを受けました。また「新しい医療を作る会」の竹熊先生と出会い、農薬と化学肥料を多投する近代農業に疑問をもち、それが有機農業を始めるきっかけとなりました。

佐藤るい子さん(清和村)
▼私は昭和四十七年八月、梁瀬先生の講演を聞き、農薬散布が人体や環境に被害をもたらすことを学びました。昭和四十八年、米から有機農業に取り組みました。

村山澄子さん(矢部町)
▼隣人が農薬中毒になったこと、化学肥料だけでは土が固くなることなど、近代農業に疑問を持っていました。そんな時、飯星幹治さんから有機農業を教えてもらいました。

吉見孝徳さん(清和村)
▼高丸さんや佐藤さんに勧められて愛農学園(三重県)に入学しました。そこで、人としての大切な生き方を学び、人のいのちを支える農業のあり方は有機農業であると考えました。

本田一幸さん(宇土市)
▼昭和四十六年に「金肥」を減らす為、牛を二頭から三頭に増やしました。昭和四十六年、宇土市の寺尾さんや五和町の中井さんなどとの出会いの中で、有機農業の大切さをつくづく感じました。

◆有機農業とくらし

高丸▼化学肥料を使う
と虫が付きやすく農薬を使わなければならなくなりますし、土が単粒構造になります。土作りの基本を学びに長野県の内城土壌菌研究所に行くなど土作りに励みました。有機農業に取り組み四〜五年で何とか軌道に乗ってきました。「もうける農業」ではなく「楽しむ農業」をめざしてきました。消費者の支えがあったから続けてこれました。

佐藤▼冬にとれるものが少なく、三〜五月は収入がありません。祖母の年金に助けられました。農民作家山下惣一さんから「よう生活が出来ていますね。」と言われました。冬の間は体と心を休める時期だと思っています。「佐藤さんの野菜はやさしい。」といわれたことがすごくうれしく、有機農業をやっていて良かったと実感しました。

村山▼「御岳会」を結成し、現
在十名の会員て結成十五年になります。主人が何でもチャレンジしますので、失敗も多く、収入が上がらず、くらしはきつかったのですが、夢がありました。仲間との出会いです。また、生協との交流の中で、健康、子育て、食品添加物問題など学べました。

吉見▼二十才で就農し、野菜は
すぐ有機栽培にかえましたが、米は少しづつ有機栽培に切り替えてきました。収入は少なかったのですが、養鶏をやっており、くらしに役立ちました。

本田▼現在はみかん栽培を八〇
アールやっていますが、ここまでくるのに失敗の連続でした。虫食いのみかんや野菜を消費者のみなさんに買っていただき、本当に支えてもらったと思っています。有機農業は「哲学」と「感謝」が大切であると思います(つづく)

(内田敬介)

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