「幸福な食卓を語る」シリーズ2

戦前戦後の食卓に思うこと
   竹永シズコ(いのちと土を考える会)

   私は昭和1桁生まれで、戦中戦後を生き抜き、食糧難の時代も飽食の時代も経験しています。食べる物も着る物も無い時代、それでも日々必死に航空機製作に関わる仕事をやっていました。
   軍需工場で毎日敵機の空襲を受け、目前で片手が飛び散り命を落とす修羅場を目撃し、給料計算をやっておりましたが、明るい日中は空襲、夜だけ灯火管制の薄暗い電灯の下で徹夜で仕事といった時代です。上司の課長は、「命よりブック(賃金台帳)を大事にしろ」と命令し、人命軽視の時代でした。でも、個々の人間の結びつきは強いものでした。一つの食べ物を分け合い、命をかばい合い、「欲しがりません勝つまでは」のスローガンのもと一致団結し、勝利を信じ頑張りました。命の尊さを感じ、助け合って生きた時代も遠い過去となりました。「お弁当を開けたら先ず蓋についた米粒からいただきなさい(給食のない時代)食べ物を粗末にするとバチが当たる。」これは私が小さい頃から食事の都度に母に言われていた言葉です。母親は立派に食育をやっていたのだと今でもありがたく思っております。
   草取りにいった畑の人参、牛蒡が立派に成長して食卓に届けられた時、大地の恵みと生産者の努力を思い、感謝しながらいただきます。人間は大地の恵みを無くしては生存できません。衣食足りて礼節を知るといった諺は死語になってしまたのでしょうか?気を引き締めて飽食の時代を終わりにしたいものです。


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