熊本県有機農業研究会の源流を訪ねて(2)
熊有研30周年を前に、農民史研究家・内田敬介氏が、熊有研設立当初の様子を取材し報告する「熊有研の源流を訪ねて」の第二回目。提携を軌道に乗せていった過程を知る消費者を訪ねました。
今では国際語になっている、生産者と消費者の産直「提携」ですが、今回は熊有研発足間もない頃から「提携」に係わられた三名の消費者、森連子さん(はこべの会)、田上チジ子さん(くまもと有機の会)、佐藤玲子さん(学校生協)の話を伺いました。(川添紘子さん(いのちと土を考える会)は都合により欠席。)
とにかく有機農産物が欲しい
田上さんは、熊本市が開いた「消費者講座」で化学肥料・農薬多投の農産物の問題を学び、佐藤さんは、肝臓障害のため、健康に良い野菜を求め、森さんは、小児喘息の子どものために、安全な食べ物が欲しかった、と口々に話されます。有吉佐和子が、農薬や食品添加物問題を扱った『複合汚染』を、朝日新聞に連載していた時代のことです。徹底した学習と話し合い
そのような中、彼女達は熊本市で開催された「いのちと土を守る大会」(昭和五〇年三月一六日)で、有機農業を営む生産者と出会うこととなります。そして両者は、今何故有機農業なのか等、徹底した学習を進め、話し合いを重ねました。
そしてついに、有機農業を営む生産者との取引が始まります。が、双方初めてのことでもあり大変だったようです。週に一回、生産者から届けられた農産物を、消費者有志の手で朝から夕方までかかってグループごとに分ける。当日行ってみなければ、農産物がどれくらい届けられているかもわからない。子どもをおんぶしてきている人、タクシーで持ち帰る人。どれもこれも、家族の理解がなければ続けられなかったといいます。生産者と消費者が画期的な提携を
生産者と消費者が手を組む画期的な「提携」の第一歩でした。この「提携」の原則として、@全量引き取り、A援農、B学習、C運命共同体がありますが、「全量引き取り」は、消費者にとって負担が大きかったようです。そこで工夫されたのが、計画生産。家族数から一年間の需要量を割り出し、それにもとづいて作付けをお願いするという方法です。それは、昭和五一年五月、命を守る運動としての農産物の集荷・分荷・配送機能を持つ「熊本有機農産流通センター」の設立につながっていきました。「援農」は「縁農」
「援農」とは農民と信頼関係を築くために、消費者が農作業を手伝うものです。森さんは、バスで三時間かけて矢部町三ケに通いました。驚いたのは、奥深い山の中の狭い棚田で、大変苦労して農業が営まれているということでした。しかし「援農にはならなかった。むしろ、足でまといになったのではないか。」と記憶の糸をほどくように語られます。また、佐藤さんは「実際土を耕し、農作業を体験すると、届いた野菜を見て、何処の畑で、誰がつくったのか、想いがはせるようになった。子どもの教育にもたいへん役立った」と話されます。このように、「援農」は、むしろ消費者と生産者とを結び付ける「縁農」でした。いのちでつながる
援農を通じて、自分たちの命と健康はまさに、農民の営農と暮らしに結びついていること、消費者と生産者は命でつながる「運命共同体」ということを双方が実感していったのです。(内田敬介)