身土不二

大野 勝彦

 私の家は先祖代々の農家であった。菊陽町で生まれた私は高校をでると当然のように父母といっしょに畑仕事についた。

 都会に出て働くのがファションだという雰囲気の中、俺達が村を守るんだとキラキラ輝いて青春を過ごした。嫁をとり、3人の子供に恵まれ、ハウス中心に5haの野菜を作っていた。時、平成元年7月22日、私の運命の日。農作業を終え、自宅の庭でトラクターを洗うというところから始まった。その機械に両手を巻き込まれ、1級の障害者になるということを、誰がその時想像したであろうか。それは一瞬の出来ごと、アーッという間の事故であった。トラクターの中に残った2本の腕を見て、「残念ね!残念ね!」と泣く母の姿が今も忘れられない。仕事はできなくなり、毎日他の人にお世話になりながら生きる私を、父母、家族はどんな気持ちで見ていたのであろうか。
 それでも、その3ヶ目から、残った肘に筆ペンをくくりつけて字を書いたのは、農業の中で学んだ、「与えられた場所で全力を尽くすと」いう思いがあったからであろう。
 今、南阿蘇の「風の丘」阿蘇大野勝彦美術館に私は毎日通っている。1万2千坪の丘に建ったこの美術館には、そんな私のドラマが展開されている。
 「今が幸せ」と感じている私はこれまでの出来事が全て肯定出来るのである。あの両手切断の事故さえ避けて通れなかった決まりごとと受け止めて笑顔で楽しんでいる。
 人生時間も命も自分持ち。何があっても乗り切っていける。その場で全力をつくす。一人でも応援してくれる人がいる限り、心配して涙流してくれる人がいるかぎり、笑顔で生きたいものだ。その自分の与えられた空間で。

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